遠隔操作事件を追って考えたこと
地裁判決が確定したので、一区切りとして、今までこの事件を追ってきて考えたことを書いてみる。
ネット上で多かった冤罪の意見
この事件は、ネットで活動しているメディア等により、弁護側の主張が片面的に多く流れ、ネット上では、それを見た視聴者や読者の多くが、冤罪だという意見を述べていた。
次の、弁護側に開示された犯人性の証拠の記事と、受刑者の保釈時の記事に対するネット上のコメントは、受刑者を応援する意見が特に多かった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130711-00026343/
http://b.hatena.ne.jp/entry/news.nicovideo.jp/watch/nw976773
次の記事の方は、比較的理性的にこの事件に注目し、弁護側の主張を聞いていた人の典型のような意見の推移をしたと思う。
自分のツイートで振り返るPC遠隔操作事件の1年半
http://sakedrink.info/false-memory/
ジャーナリストの中には、受刑者が無実であることを前提に、「無実の人間に対し不当な勾留が続いている」と言っている人も何人かいた。
国税申告漏れ事件で無罪判決を勝ち取った方は、完全に受刑者が無実であると信じていた。
ある裁判官ですら、弁護側の主張を片面的に伝える記事をかなり信用して、冤罪の可能性が高いと見ていたようだった。
犯行声明では、犯人が自身の犯人像をミスリードする目的を含むことも多いのに、あるブログなどは、証拠が開示される前の2013年6月の時点で、犯行声明メールに書かれている動機から推定した犯人像と、被告は大きく違うので、被告が犯人ではないことを示した、検察は確実に被告の無実を理解している、などと呆れるようなことを書いていて、他の考察も非論理的で多く間違っていた。
2014年3月5日の第2回公判で、検察のデジタル関連の立証がなされ、証拠の詳細の記事が出た。
デジタルフォレンジックの専門家などが、記事を読んで証拠について検討した。
被告の職場PCでウイルス開発が行われたことを示すかなり有力な証拠であり、痕跡の多種多様さや証拠間の整合性を考えると、遠隔操作により被告のPCに証拠を残されたという弁護側の主張はかなり困難な仮定である、と意見する人や、そのデジタルフォレンジックの専門家の分析を見て、有罪の可能性が高いと考える弁護士が出てきたりするなど、ネット上での有罪無罪の論調が少し変化しはじめたと思う。
2月4日第一審判決言渡に書いたように、この事件は、結局アナログもデジタルの証拠も、逮捕当初に報道されたもののほとんどが実際に存在し、かつ決定的な証明力を持つものが複数あった。
伝えられた情報から事実のみを抽出して考察していれば、被告が犯人であるということと、被告が有罪となる可能性が非常に高いということを確信できたと思う。
判決後も、受刑者の自作自演が発覚しなければ無罪になった可能性が高かった、受刑者の行動が理解できない、という論調の記事も多かったが、受刑者本人は、被告人質問で、確実に無罪なると思っていればそういう行動はしないと言っていた。
技術者の意見
プログラマーやエンジニアなどの技術者の中には、受刑者の逮捕当初は、証拠が弱いという弁護士の主張をそのまま報じた記事を真に受けて、断片的な情報から大した証拠が無いと決めつけ、「あやふやな状況証拠で犯人扱いするようでは、自分達もいつ冤罪に巻き込まれるか分からない」、という意見の人も多かった。
受刑者がiesys.exeを作成することができるかどうか、ネット上でも意見が分かれていたが、実際に受刑者は作成していたので、結果的には、作成可能、又は作成できるかどうか不明という意見が正しかったことになる。
しかし、技術者の中には、受刑者の業務経験と能力を知らず、iesys.exeの詳細も分からないのに、一定の見識がある者という立場から、受刑者には作成できない可能性が高いと言う者もいた。
次の記事は、多くのブロガーがiesys.exeについて、プログラミングに非常に高度な技術を要するかのように書いていたが、iesysの作者はある程度のスキルを持っているものの、実装はそれほど高度なものとはいえない、という趣旨のことを書いている。
http://www.atmarkit.co.jp/ait/articles/1406/09/news013.html
公判が始まりiesysの詳細が少し明らかになると、ある程度の能力があれば作成可能という技術者の意見も増えてきた。
ある弁護士は、iesys.exeの作成能力を持っているという立証を叩くのは無理筋だと思う、普通に「不可能とは言えない」で終わる、もちろん犯人性を認定する決め手にもならないが、と言っていた。
そもそも能力が無いことを立証するのは難しい。
弁護側は、受刑者はiesys.exeを作成できないという主張を、無罪主張の柱にしていて、一部の技術者もその主張に引きずられるようにして色々と考察していたが、刑事裁判の立証の観点から見れば、そもそも主要な争点にはなりえなかったということになる。
技術者の間でこのような無罪寄りの意見が多かった理由は、実際に証拠を見ていないのに、弁護側の主張だけを報じた情報を鵜呑みにして、弱い証拠しかないと意見したり、刑事裁判の事実認定や立証構造の基本的知識が無いのに勘違いするなど、自分が知らないことについて根拠の無い決めつけをしたことが原因だったと思う。
先の誤認逮捕という結果を受けて、警察検察にはIT関連の事件について適切な捜査、判断をする能力が無いと認識し、この事件でも弱い証拠しか無く、真犯人にまた巧妙に裏を書かれている可能性が高い、という先入観があったのかもしれない。
実際は、ある意味当たり前ではあるが、4人の誤認逮捕事件と、その反省を踏まえた今回の事件の捜査体制は違っていたのであり、決定的な証拠は十分揃っていた。
他に、IT系のライターも含め、自分の知識、仕事と関連があるデジタルの証拠にしか注目しないのか、猫の首輪などの証拠の詳細をあまり知ろうとせず、デジタルの証拠だけで有罪無罪が決まるかのような間違った思い込みをしている人も多かったと思うが、刑事裁判は一部の例外を除き原則として証拠は制限されない。
別に「この事件は冤罪ではないか」と言ったところで誰に迷惑がかかるわけでもないかもしれないが、事件について正しく判断しようとするなら、一方当事者の弁護士の説明だけでは不明と考えられる部分について、勝手に決めつけずに、事実を元に考えたり、自分が分かる範囲で考えるべきだっただろう。
刑事弁護人の真実義務
受刑者の自白を受けて、それまで受刑者の無実を強固に主張していた弁護士を非難する声があった。
その意見に対し、弁護士が次のように、凶悪犯罪の被告人から、「真実の犯人は自分だが無罪を主張してくれ」と言われたときに、無罪主張に最善を尽くさなければならないのが刑事弁護の倫理です。有罪主張したら懲戒を受けます。と解説した。
http://www.bengo4.com/topics/1540/
被告人には真実義務は無い。
刑法第194条にあるように、検察官と裁判所は、虚偽の主張・判断をしてはならないという真実義務がある。
人間の行いなので、検察官や裁判所の主張・判断が真実であるとは限らないとはいえ、誤りであってはならないという一応の義務がある。
それに対し、刑事弁護人の真実義務は、次のように、「弁護人が述べることは,全て真実でなければならないが,しかし,弁護人は,真実であることを全て述べなければならないわけではない」、「被告人の権利の範囲内においては真実が犠牲になることを躊躇する必要は全くないが(それは誠実義務の履行そのものである),弁護人といえども積極的に真実を歪める行為をしてはならないという意味における弁護人の真実義務はむしろ強調されなくてはならない」という消極的真実義務であるという考え方が通説的見解であり、ドイツの主流もほぼ同じである。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/06-6/tsujimoto.pdf
次の記事が引用している、平成19年11月28日東京弁護士会綱紀委員会の決定では、被告人の主張や弁解が不可解であっても、その意見に反する弁論を行うことは、弁護士の職責・倫理に反すると示している。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/200912110001/
刑事被告人には資格を有する弁護人を依頼する権利があり(憲法37条3項),いかに多くの国民から,あるいは社会全体から指弾されている被告人であっても,その主張を十分に聴き入れた上で弁護活動をおこなう弁護人が必要であり,弁護人には,被告人の基本的人権を擁護する責務がある。被告人の主張や弁解が仮に一見不可解なものであったとしても,被告人がその主張を維持する限り,それを無視したり,あるいは奇怪であるなどと非難したりすることは許されないし,被告人が殺意を争っている場合においては,弁護人が被告人の意見に反する弁論をおこなうことは,弁護士の職責・倫理に反するものであり,厳に慎まなければならないのである。
被告人が、弁護人に自分が犯人であることを告げ、それでも無罪を主張したいと言ったという仮定は、極端な例なので、そのまま弁護を続けても職業倫理には反しないとはいえ、私選であれば弁護人を辞任するという方針の弁護士も多いようである。
http://t-m-lawyer.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_e17a.html
しかし、内心は被告人の無罪の主張がかなりおかしいと思っているような場合でも、被告人が無罪を主張している限りは弁護人も無罪主張をする必要があることになる。
被告人の有罪無罪という、刑事裁判の根本的な争点について、三者の中では弁護人だけが、自身の疑念に反する主張をしなければならない場合があり、また主張することが許容されるということになる。
この当事者の真実義務の違いは、刑事事件の当事者の主張を聞いて判断する際には、前提として知っておかなければならないだろう。
弁護側の主張を報じた大手以外のメディア
上記のような、消極的な真実義務しかないという刑事弁護人の倫理は、一般に周知されているとは言えないと思う。
弁護士は社会正義の実現のために公益的な活動を行っているが、極端な例とはいえ、刑事弁護人として犯罪者かもしれないと思っている人を無罪にするために活動しなければならない場合もある。
弁護人が事件の当事者として主張する事実と、客観的な事実は、必ずしも一致するとは限らない。
メディア、ジャーナリストが伝える記事は、正確性・客観性が必要で、前提として事実を伝える必要があるが、当事者である刑事弁護人が主張する事実は、実際の事実と一致しないことも多いのだから、その主張をあまり斟酌せずそのまま報道してしまえば、結果として事実ではないことを伝えて広めてしまう可能性もある。
報道が刑事弁護人の主張を報じる際は、ある部分はあくまで弁護人の主張であり事実とは限らないということを明確にしたり、記者等が慎重に当否を判断した上で報じないと、視聴者・読者が弁護人の主張が確実な事実であると誤解する恐れがある。
この事件では、ネット上で主にジャーナリストやメディア等が、刑事事件やデジタルの証拠についての理解が不足しているのに、弁護人の主張する事実をそのまま裏付けのある客観的な事実であるかのように、あるいは思い込みでその主張をさらに補強するように伝え、多くの人がその情報を鵜呑みにして受刑者が冤罪であると判断した。
例えば、証拠が開示されたが決定的な証拠は無かった、犯行声明メールの写真はiPhoneで撮られていた、猫の首輪は裏返しに付けられていた、雲取山で発見されたUSBメモリの証拠は検察に隠されていたなど、後に開示された証拠や被告の供述により明らかになった事実とは違っていたり、不明のままだったりする事実について、結果的に事実ではなかった弁護士の主張をそのまま記事の見出しとして伝え、それを見た読者が事実であると誤解するということが積み重なっていたと思う。
弁護士は、ネット上の受刑者を応援する意見を勾留中の受刑者に見せていて、受刑者は喜んでいたらしい。
報道や世論が有罪無罪の判断に影響することはなかっただろうが、受刑者の否認継続や、弁護側の弁護活動に影響した可能性は否定できないだろう。
誤報検証サイト「GoHoo」の影響
主にネット上でこの事件を報じていたメディアの中でも、代表が弁護士である日本報道検証機構の、報道の誤報を検証することが目的のサイト「GoHoo」は、ネットでこの事件を追っていた人の判断に特に影響を与えたと思う。
このサイトは、弁護士の証拠についての主張を、裏付けのある客観的な事実であるかのように伝え、逮捕当初に大手メディア等が報道した、逮捕の決め手となった猫の首輪やウイルス開発の痕跡の証拠は誤報だったと指摘していた。
http://archive.gohoo.org/news/iesys/
GoHooは、この事件の三大誤報として、受刑者が江の島の猫に首輪を付けている姿が写っている防犯カメラの映像がある、受刑者のスマホから江ノ島の猫を撮影した写真が復元された、Dropboxからウイルスの作成場所を特定できる情報が見つかった、を挙げていた。
https://www.youtube.com/watch?v=is3e4krrvM4
しかし、これら3つの報道については、事件関連の誤解・疑問点(1)に書いたように、公判で証拠が明らかになるにつれ、いずれも厳密には誤報だったと断じるべきではなかったことが分かったと思う。
猫の首輪については、そもそも警察は会見で手元までは映っていないと言及していたし、首輪を付けた映像があると踏み込んだ表現で報じたメディアはすぐに訂正した。
証拠開示前から、この映像の証拠は、写真の証拠と組み合わせて立証する予定と報道されていて、結局決定的な証拠の一つであった。
受刑者のスマホからは、受刑者がこの事件のニュースを閲覧して保存していた、3枚の猫の写真が復元されたのであり、受刑者が撮った写真ということを証明できる強力な証拠ではないとしても、犯人が撮影した3枚の写真と同じ写真が復元されたこと自体は誤報とは言えない。
Dropboxの証拠は、公判の記事から分かるとおり、iesys.exeの表層解析をして受刑者の職場PCのパスを示す痕跡の証拠が提出されているのだから、誤報ではなかったことは明らかであり、恐らく弁護士がDropboxの証拠に関する検察の説明の意味を誤解していただけだと思われる。
どれも、公判開始前に、弁護人の説明だけから誤報と断定するべきものではなく、公判が始まると、これらの証拠も含めて決定的な証拠が複数あったことが分かった。
このGoHooの検証を根拠に、この事件は冤罪の可能性が濃厚と判断した人も多かったし、あるジャーナリストも、無罪意見の根拠にしたり、受刑者の自作自演が無ければ無罪だった、メディアは誤報を流して公判が長期化したと批判していた。
GoHooのこの事件に関する誤報の指摘が多くの信用を得た理由は、代表が弁護士であるということも大きいと思う。
刑事事件の報道について、事件の当事者ではない、刑事裁判に精通している弁護士が誤報と断定しているのだから、無理もないだろう。
報道の誤報を指摘することが目的のサイトなのであれば、十分内容を吟味した上で誤報と断じているのだろうという先入観もあっただろう。
この事件の弁護人は、デジタル関連の証拠については詳しくないと自分で言っていたし、ITの特別弁護人が選任された際には、今までのデジタル関連の証拠は我々弁護人にとって猫に小判だったと言っていた。
GoHooも、弁護人がデジタル関連の見識があまり無いことは分かっていたはずなのに、弁護人のデジタル関連の主張をそのまま事実と判断して誤報であると伝えた。
しかし、第三者である専門家が公判で出た証拠を見れば、被告が犯人であることを証明する決定的なデジタルの証拠も十分揃っていた。
また、一方当事者である弁護人が、職務として被告人の無罪主張をするために、発信する情報を取捨選択し、弁護側に有利な解釈をして伝えている可能性があることも、弁護士ならば分かっていたはずであり、分かっていなければならないはずなのに、GoHooは考慮していたとは言い難い。
GoHooは、デジタル関連その他の証拠について自ら検証しない、理解しようとしないのならば、積極的真実義務がなく、事実とは異なる可能性がある弁護人の主張を鵜呑みにして誤報と断じ、多くの人の判断に影響を与え、受刑者の自白後も証拠について検討せずに、世間に誤解を与えていたことは問題だと思う。
寄付の募集
弁護士は、この事件の弁護に必要な費用の寄付を募っていた。
寄付金の使用目的は、受刑者のPC等のデータ解析に必要なHDDの購入費用など明確にしていたので、寄付を募ること自体は何も問題は無いとは思う。
ただ、2013年7月に弁護側に示されていた、被告が触った5分後に付いていた猫の首輪などの決定的な証拠の詳細を知っていたとしたら、支援者はそれでもなお寄付をしただろうか。
あるネット放送では、受刑者が犯人であれば首輪に受刑者のDNAが付かないはずがないという弁護士の説明を聞いて、受刑者の無実を確信したジャーナリストが寄付する意向を示していた。
寄付をした支援者の大半は、弁護士の会見やネット上でそれを報じる記事を見て、受刑者が無実の可能性が非常に高いと判断していたと思う。
ネット上で事件を追いかけていた人に対しては、証拠の情報や双方の主張がバランスよく伝わっているとは言い難い状況であり、寄付者が客観的な情報に基づいて判断していなかったように思う。
大手メディアが流す情報とバランスを取ることの是非
あるジャーナリストは、この事件はマスメディアが捜査側の視点を大々的に報じていて、世の中の情報が偏っているので、弁護側の視点の情報を伝えることで情報のバランスが変わればいいと思った、記事の中でバランスをとることは意識していなかった、と述べていた。
しかし、この事件は4人の誤認逮捕が発覚して警察検察に非難が集中し、その後証拠がほとんど無く真犯人の捜査に手間取った末での容疑者の逮捕だったので、逮捕当初から、マスメディアの報道を見た上でも本当に犯人なのかどうか懐疑的な人も多かったと思う。
逮捕から4日後にマスメディアが報じた、次の受刑者が否認しているという記事のコメントを見ると、あくまでネット上の意見ではあるが、本当に証拠があるのか、冤罪かもしれないという意見も多い。
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/affairs/news/130214/crm13021421380030-n1.htm
公判が始まると、大手メディアは、全面対決のまま公判が始まったと報じ、どちらかに偏るというより淡々と双方の主張を伝え、第2回公判以降は保釈された事実以外はあまり報じなくなったが、それ以外のメディアやこの事件に関心が高いジャーナリストは、公判の様子と、保釈後は受刑者や弁護人のインタビューなどを何度も伝えていた。
主にネット上でメディアが伝えた弁護側の主張の情報は、マスメディアの報道を見て受刑者が犯人と思っていた人には結局あまり伝わらず、ネットで能動的に事件を追いかけているような、元々受刑者が犯人ということに懐疑的だったり、警察検察の捜査方法に対して批判的だったりする人の冤罪の思い込みをより強固にしたという印象がある。
スマホ等の端末でニュースを見る際には、見出しだけに注目して中身をあまり注意して読まないことも多くなっていて、更に記事自体もネット上で転載されるので、弁護側の主張に過ぎないことをタイトルにした記事を見た読者が、それを確定的な事実であるかのように誤解した人も多かったと思う。
ネットによる情報量の増加や、一般市民が意見を発する機会が増えたことも関係があるのかもしれないが、昨今の朝日新聞などの一連の記事訂正の反響や、大手メディアのオピニオンと世論が大きく乖離する場合があることなどを考えると、以前と比べて大手メディアの信用、権威が低下し、その情報、論調をあまり信用しない人も増えてきていると思う。
中には、大手メディアは信用できない、ネットにこそ隠された真実がある、と極端に考える人もいる。
その結果、ネットの玉石混淆の情報を適切に取捨選択できずに、結論がまず先にあり、それに適う情報ばかりを収集して信用してしまい、客観的に正しく物事を理解できない場合もある。
この事件は特に、警察検察の大本営発表を追随するだけのマスメディアと、真実を伝えるネットメディアやジャーナリストという構図を自分の中で作り上げて、結論ありきで判断してしまった人が多いと思う。
これは、果たしてジャーナリストらにとって望ましい状況だったのだろうか。
物事について、別に虚偽を言わなくても、どの側面の情報をどのように報じるかによって、受け手に伝わる理解がまるで変わり、全く違う印象を受けることもあることは言うまでもない。
仮に間違っていない情報を報じたとしても、報じ方によって、受け手に正しく事実が伝わらないこともある。
独立系メディアは、権力、巨大資本におもねる大手メディアに対するカウンターとしての機能が期待されるのかもしれないが、今は大手メディア以外のネットに流れる記事を、大手メディア以上に信用する人も増えているのだから、その記事単独で見ても受け手に誤解を与えないよう慎重に事実確認した上で報じられるべきだろう。
特に刑事事件の報道においては、弁護人に積極的真実義務が無いのだから、その主張が事実とは限らないということを前提として、情報の受け手に誤解を与えないよう配慮すべきである。
今回のように、刑事弁護人の真実義務、刑事裁判の知識、デジタルの専門分野の理解も乏しいまま、弁護側の主張をあまり斟酌せず、そのまま事実であるかのように、むしろ主張を更に補強するかのように報じておいて、結局無実ではなかった、証拠も十分あることが発覚するようなことを続けていれば、ネットを中心に活動するメディアに対する信用が更に低下することに繋がりかねない。
信頼される発信者であろうとするのなら、受け手に先入観を与えず、事実が伝わるように、客観的に報じることを心掛けてほしいものである。
刑事司法の問題
このブログでは、主に受刑者が犯人である可能性が高いということを述べてきたが、その前の、冤罪を生んだ刑事司法の問題にも少し触れておく。
冤罪は、国家による重大な人権侵害である。
この事件では、何の落ち度もない4人が誤認逮捕され、その内2人が自白した。
この事件を受けて、警察は一応、サイバー犯罪捜査を見直し、自白に頼りすぎたことを反省するとともに今後は取調べ方法を改める表明をしたが、実際にどの程度改められるかは分からない。
虚偽の自白をした人はそれぞれ、自白した方が早く元の生活に戻れる、同居人に疑いが向く前に認めた方が早く終わる、と自ら判断したことも理由の一つなのだから、虚偽自白は取調官の個々の問題だけではない、現在の逮捕勾留の制度そのものに起因すると思うので、今後のためには、制度自体の見直しも含めて検討していく必要があるだろう。
この問題と関連して、冤罪防止のため、被疑者・被告人取調べの録音録画をする可視化の導入が議論されている。
最近、裁判員裁判対象事件と検察の独自捜査事件の可視化が正式に実施され、法制審議会がその可視化を義務化する改正案を答申し、今年改正法が成立する見通しであるが、対象は全ての刑事裁判の2%に限られる。
今まで裁判員裁判対象事件を中心に部分的に可視化を実施してきたが、基本的には冤罪防止に役立つことも含めメリットがあると評価されている。
日本弁護士連合会は、取調べの過程の全てを記録する全面可視化と対象事件の拡大を求めている。
郷原弁護士の次の記事のように、弁護人が立ち会わない検察官の取調べによる供述の直接証拠化が、かえって被疑者、被告人の不利益に働く結果になる恐れもあるという意見もある。
https://nobuogohara.wordpress.com/2014/05/23/pc遠隔操作事件を「人質司法」の追い風にして/
私は、取調べの録音録画がすべて刑事公判での直接証拠として使用されるという、現状のままの取調べを全面可視化することには、必ずしも賛成ではない。弁護人も立ち会わず、検察官の質問にさらされる取調べの場での供述と、公判における裁判官、弁護人の前での被告人質問による供述の、どちらを重視すべきなのかは、慎重に検討すべき問題だからである。
推理小説「司法記者」(由良秀之)でも、それを原作とするWOWOWドラマ「トクソウ」でも描かれているように、「検察の暴走」の中において、恫喝、利益誘導等の不当な取調べが行われてきたことは事実である。取調べの可視化は、そのような不当な取調べを抑止する目的に限定して行うべきである。録音録画の直接証拠化は、かえって、被疑者、被告人の不利益に働く結果になる恐れもある。
次の元検事である弁護士は、可視化には賛成だが、組織犯罪の被疑者の危険や、取調べ状況が適切に評価されないおそれがあることなどを懸念していた。
http://www.yabelab.net/blog/2008/01/25-105944.php
元東京地検特捜部副部長の若狭弁護士は、可視化の本格導入は供述が引き出しにくくなることは間違いない、検事には机をたたいて怒鳴るのではなく、嘘やごまかしを見抜いて供述を引き出すという当たり前の能力を訓練することが求められる、と意見を述べている。
http://www.sankei.com/affairs/news/140618/afr1406180005-n3.html
可視化については、冤罪防止も含めて長所もあれば検討を要する点もあり、今までの実績も踏まえて、今後どうするべきなのか個別具体的に検証され始めている。
一面的な報じ方で議論を単純化しないように注意していただきたいものである。
弁護士と刑事司法
日弁連は、1990年の「司法改革に関する宣言」で、無罪率の低下などを問題視し、国民と司法との距離があるとして、陪審や参審の制度の導入を目指すと宣言した。
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/assembly_resolution/year/1990/1990_3.html
1999年に設置された司法制度改革審議会で、日弁連は市民の司法参加を目的として、参審より市民の役割が大きい陪審制度を導入するよう意見したのに対し、最高裁は反対し、法務省もあまり積極的ではなかった。
http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai30/30gaiyou.html
http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai30/30siryou.html
結局陪審と参審の折衷案である裁判員制度が導入されることになり、2009年に施行された。
実施3年後の統計で、裁判員裁判と裁判官裁判の判決を比較すると、覚せい剤事件の無罪率は上昇したものの、その他の事件は0.5%で、今のところ実施前の3年間の0.6%からほぼ横ばいだった。
複数の罪が厳罰化し、検察の求刑と同じ、又は求刑を超える判決の割合は顕著に増加した。
http://www.saibanin.courts.go.jp/topics/09_12_05-10jissi_jyoukyou.html
裁判員裁判は概ね順調と評価されているが、これらの結果は必ずしも日弁連の希望通りとは言えない面もあると思う。
2012年に、裁判員裁判で求刑越えの判決が下され、日弁連会長が談話で判決を批判した。
次の記事は、市民の「健全な常識」を司法に反映させるために司法参加を推進したのは日弁連であるとして、この談話を批判している。
日弁連会長「裁判員裁判批判」談話の苦しさ
http://blogos.com/article/44886/
2014年に、裁判員裁判で求刑の1.5倍の懲役刑だった判決が、最高裁で、先例相場と比較して量刑が重く公平性を欠くとして破棄され、より量刑が軽い判決が下された。
裁判員裁判の意義そのものが問われたが、次のアンケートによれば、母数は多くは無いが大半の弁護士が最高裁判決を支持している。
http://www.bengo4.com/topics/1834/
法律の素人である市民が参加すればこういう結果も想定されるし、量刑の相場に市民の感覚を取り入れることも制度発足時の目的の一つだったはずである。
色々理由はあるだろうが、むしろ刑事司法に市民の参加を積極的に推し進めてきた側が、犯罪加害者に不利な場合には市民感覚をあまり尊重しないというのは、なんだか都合がいいように思う。
2008年に、犯罪被害者が刑事裁判に参加して被告人質問等を行うことができる被害者参加制度が導入された。
日弁連は、他の被害者救済制度は推進してきたものの、被害者参加制度は、私的復讐から国家による理性的な刑罰権に昇華した歴史的経緯を踏まえるべき、ということなどを理由として反対していた。
http://www8.cao.go.jp/hanzai/suisin/kihon/gizi4.html
施行後3年後に、見直しの要否が検討された意見交換の場でも、日弁連は、被告人の防御権の観点や、特に裁判員裁判では感情に基づく誤判の危険性や被害者参加の有無による不公平が助長される弊害も大きくなる可能性があることなどを理由として、制度自体基本的に見直されるべきという反対意見を出した。
被害者参加人のアンケート結果では、合計88.2%が参加してよかったという意見で、被害者の納得、精神面の救済に役立っているようである。
意見交換会等を踏まえて法務省において検討した結果は、概ね適切かつ順調に運用され、制度として定着しつつある、意見を踏まえて被害者参加制度等の運用のより一層の充実を図っていくべき、という結論だった。
http://www.moj.go.jp/keiji1/keiji12_00068.html
この被害者参加制度を非常な熱意をもって推し進めてきた弁護士は、次に、自身の妻が殺害され、遺族となってみて初めて被害者は刑事司法上何の権利もないことを思い知らされた、長年加害者の人権だけを考え、加害者からの収入で生活してきた弁護士にとっては、被害者の権利は目障りなようである、という意見を述べている。
http://www.navs.jp/nl/nl_44/nl_44_01.pdf
両制度とも、公正、公平、従前の制度との整合性という観点では難しい問題をはらんでいるかもしれないし、日弁連の執行体制も変遷しているとは思うが、日弁連の、これらの制度についての市民の司法参加に関する主張は、一貫性に欠ける印象を受ける。
弁護士法第1条に定める弁護士の使命は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することである。
弁護士は、依頼人の利益に奉仕するのみならず、同時に公共的性格も有し、良心に従い正しい行いをする努力をしなければならない。
世間の弁護士に対する認識は、社会正義の実現を目指し、公益活動にも熱心で誠実で高度に専門的な職業というものが多いと思うし、実際に大半の弁護士がそういう方だと思う。
しかし、集団の一人として意見を持つ場合に、その見解が内輪の論理にとらわれていたり、歴史的経緯を重視しすぎたりしている場合がないだろうかという疑問がある。
戦前の全体主義に対する反省から、戦後は弁護士に諸外国と比較しても珍しいほどの弁護士自治が認められた。
弁護士の懲戒手続は、まず各単位会の綱紀委員会が懲戒委員会に審査を求めるべきか判断するが、構成員の過半数が弁護士であり、出席委員の過半数で議決されるし、調査自体は弁護士が行う。
被告人に、自分が犯人だが無罪を主張してくれと告白された場合に、どのような弁護をするべきなのかは見解が分かれるだろうが、被告人に不利な弁護をすると懲戒処分を受ける恐れがあるとしても、その懲戒の判断をしているのもまた弁護士である。
次の記事によれば、イギリスでは、近年の司法改革により弁護士自治が縮小した。
http://blogos.com/article/92208/
この遠隔操作事件では、受刑者が自白した際に、被告人の弁護に最善を尽くすのが弁護人の職務であり、たとえ結果的に犯人であったとしても何の問題も無い、弁護人の職務に対する理解が足りない、というような弁護士の意見があったが、言及が一般論に留まって、この事件の実際の弁護人の弁護活動が具体的にどうだったのかという点について触れない、検証しないことに違和感を感じる人もいると思う。
日本では、警察検察などの国家権力に対する報道等による監視の目はある程度厳しいと思うし、相変わらず不祥事も多いそれらを監視することは報道の果たすべき最も重要な役割の一つとも思うが、刑事司法においては対をなすと言える弁護士について、例えば日弁連の意見に対して、もう少し市民目線や客観的な視点による検証が加えられてもいいのではないだろうか。
その他雑感
くどいようだが、判決の記事に書いたように、猫の首輪関連の防犯カメラ映像、その前後の首輪が付いた写真、犯人が送った3枚の写真と受刑者の撮影角度が一致しているという証拠と、この点の受刑者の決定的に矛盾する色々な発言、真犯人にPCを遠隔操作されて首輪を付けたように陥れられたという弁護側の主張がほとんど無理筋であることを知り、刑事裁判について誤解が無く、客観的に物事を判断していれば、別にデジタル関連の知識が無くても、受刑者が犯人であり、裁判で有罪になる可能性が非常に高いことは分かったはずだし、証拠の詳細が明らかになるごとにその確信は強まったはずである。
世の中には何が正しいのか分からないことも多いが、この事件は、事実を丁寧に追えば受刑者が犯人であることは分かったはずなのに、多くの人がこの事件を冤罪だと思い、結局はやっぱり犯人であったことがはっきりと示されたという点が、かなり稀なことであり、印象的な出来事だった。
多くの人が冤罪と決めつけた主な要因は何かといえば、報じる者もその受け手も、今回も冤罪だろうという先入観があったことが大きいと思う。
受刑者の自白が無いまま有罪になれば、冤罪と言い続けていた人は多かっただろうし、いまだに受刑者が保釈後ミスをせず公判が進んでいれば無罪になっていたのに、と思っているままの人が大半ではないだろうか。
間違ったことばかり言う人からは、人は去っていくだろう。
この事件について間違った人は、自分が何故そう判断したかについて反省しなければ、何度でも同じことを繰り返すことになると思うが、まるで反省する必要はないと考えている人が多いように思えてならない。
この記事でブログの更新は一応の締めとします。
ネット上で多かった冤罪の意見
この事件は、ネットで活動しているメディア等により、弁護側の主張が片面的に多く流れ、ネット上では、それを見た視聴者や読者の多くが、冤罪だという意見を述べていた。
次の、弁護側に開示された犯人性の証拠の記事と、受刑者の保釈時の記事に対するネット上のコメントは、受刑者を応援する意見が特に多かった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130711-00026343/
http://b.hatena.ne.jp/entry/news.nicovideo.jp/watch/nw976773
次の記事の方は、比較的理性的にこの事件に注目し、弁護側の主張を聞いていた人の典型のような意見の推移をしたと思う。
自分のツイートで振り返るPC遠隔操作事件の1年半
http://sakedrink.info/false-memory/
ジャーナリストの中には、受刑者が無実であることを前提に、「無実の人間に対し不当な勾留が続いている」と言っている人も何人かいた。
国税申告漏れ事件で無罪判決を勝ち取った方は、完全に受刑者が無実であると信じていた。
ある裁判官ですら、弁護側の主張を片面的に伝える記事をかなり信用して、冤罪の可能性が高いと見ていたようだった。
犯行声明では、犯人が自身の犯人像をミスリードする目的を含むことも多いのに、あるブログなどは、証拠が開示される前の2013年6月の時点で、犯行声明メールに書かれている動機から推定した犯人像と、被告は大きく違うので、被告が犯人ではないことを示した、検察は確実に被告の無実を理解している、などと呆れるようなことを書いていて、他の考察も非論理的で多く間違っていた。
2014年3月5日の第2回公判で、検察のデジタル関連の立証がなされ、証拠の詳細の記事が出た。
デジタルフォレンジックの専門家などが、記事を読んで証拠について検討した。
被告の職場PCでウイルス開発が行われたことを示すかなり有力な証拠であり、痕跡の多種多様さや証拠間の整合性を考えると、遠隔操作により被告のPCに証拠を残されたという弁護側の主張はかなり困難な仮定である、と意見する人や、そのデジタルフォレンジックの専門家の分析を見て、有罪の可能性が高いと考える弁護士が出てきたりするなど、ネット上での有罪無罪の論調が少し変化しはじめたと思う。
2月4日第一審判決言渡に書いたように、この事件は、結局アナログもデジタルの証拠も、逮捕当初に報道されたもののほとんどが実際に存在し、かつ決定的な証明力を持つものが複数あった。
伝えられた情報から事実のみを抽出して考察していれば、被告が犯人であるということと、被告が有罪となる可能性が非常に高いということを確信できたと思う。
判決後も、受刑者の自作自演が発覚しなければ無罪になった可能性が高かった、受刑者の行動が理解できない、という論調の記事も多かったが、受刑者本人は、被告人質問で、確実に無罪なると思っていればそういう行動はしないと言っていた。
技術者の意見
プログラマーやエンジニアなどの技術者の中には、受刑者の逮捕当初は、証拠が弱いという弁護士の主張をそのまま報じた記事を真に受けて、断片的な情報から大した証拠が無いと決めつけ、「あやふやな状況証拠で犯人扱いするようでは、自分達もいつ冤罪に巻き込まれるか分からない」、という意見の人も多かった。
受刑者がiesys.exeを作成することができるかどうか、ネット上でも意見が分かれていたが、実際に受刑者は作成していたので、結果的には、作成可能、又は作成できるかどうか不明という意見が正しかったことになる。
しかし、技術者の中には、受刑者の業務経験と能力を知らず、iesys.exeの詳細も分からないのに、一定の見識がある者という立場から、受刑者には作成できない可能性が高いと言う者もいた。
次の記事は、多くのブロガーがiesys.exeについて、プログラミングに非常に高度な技術を要するかのように書いていたが、iesysの作者はある程度のスキルを持っているものの、実装はそれほど高度なものとはいえない、という趣旨のことを書いている。
http://www.atmarkit.co.jp/ait/articles/1406/09/news013.html
公判が始まりiesysの詳細が少し明らかになると、ある程度の能力があれば作成可能という技術者の意見も増えてきた。
ある弁護士は、iesys.exeの作成能力を持っているという立証を叩くのは無理筋だと思う、普通に「不可能とは言えない」で終わる、もちろん犯人性を認定する決め手にもならないが、と言っていた。
そもそも能力が無いことを立証するのは難しい。
弁護側は、受刑者はiesys.exeを作成できないという主張を、無罪主張の柱にしていて、一部の技術者もその主張に引きずられるようにして色々と考察していたが、刑事裁判の立証の観点から見れば、そもそも主要な争点にはなりえなかったということになる。
技術者の間でこのような無罪寄りの意見が多かった理由は、実際に証拠を見ていないのに、弁護側の主張だけを報じた情報を鵜呑みにして、弱い証拠しかないと意見したり、刑事裁判の事実認定や立証構造の基本的知識が無いのに勘違いするなど、自分が知らないことについて根拠の無い決めつけをしたことが原因だったと思う。
先の誤認逮捕という結果を受けて、警察検察にはIT関連の事件について適切な捜査、判断をする能力が無いと認識し、この事件でも弱い証拠しか無く、真犯人にまた巧妙に裏を書かれている可能性が高い、という先入観があったのかもしれない。
実際は、ある意味当たり前ではあるが、4人の誤認逮捕事件と、その反省を踏まえた今回の事件の捜査体制は違っていたのであり、決定的な証拠は十分揃っていた。
他に、IT系のライターも含め、自分の知識、仕事と関連があるデジタルの証拠にしか注目しないのか、猫の首輪などの証拠の詳細をあまり知ろうとせず、デジタルの証拠だけで有罪無罪が決まるかのような間違った思い込みをしている人も多かったと思うが、刑事裁判は一部の例外を除き原則として証拠は制限されない。
別に「この事件は冤罪ではないか」と言ったところで誰に迷惑がかかるわけでもないかもしれないが、事件について正しく判断しようとするなら、一方当事者の弁護士の説明だけでは不明と考えられる部分について、勝手に決めつけずに、事実を元に考えたり、自分が分かる範囲で考えるべきだっただろう。
刑事弁護人の真実義務
受刑者の自白を受けて、それまで受刑者の無実を強固に主張していた弁護士を非難する声があった。
その意見に対し、弁護士が次のように、凶悪犯罪の被告人から、「真実の犯人は自分だが無罪を主張してくれ」と言われたときに、無罪主張に最善を尽くさなければならないのが刑事弁護の倫理です。有罪主張したら懲戒を受けます。と解説した。
http://www.bengo4.com/topics/1540/
被告人には真実義務は無い。
刑法第194条にあるように、検察官と裁判所は、虚偽の主張・判断をしてはならないという真実義務がある。
人間の行いなので、検察官や裁判所の主張・判断が真実であるとは限らないとはいえ、誤りであってはならないという一応の義務がある。
それに対し、刑事弁護人の真実義務は、次のように、「弁護人が述べることは,全て真実でなければならないが,しかし,弁護人は,真実であることを全て述べなければならないわけではない」、「被告人の権利の範囲内においては真実が犠牲になることを躊躇する必要は全くないが(それは誠実義務の履行そのものである),弁護人といえども積極的に真実を歪める行為をしてはならないという意味における弁護人の真実義務はむしろ強調されなくてはならない」という消極的真実義務であるという考え方が通説的見解であり、ドイツの主流もほぼ同じである。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/06-6/tsujimoto.pdf
次の記事が引用している、平成19年11月28日東京弁護士会綱紀委員会の決定では、被告人の主張や弁解が不可解であっても、その意見に反する弁論を行うことは、弁護士の職責・倫理に反すると示している。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/200912110001/
刑事被告人には資格を有する弁護人を依頼する権利があり(憲法37条3項),いかに多くの国民から,あるいは社会全体から指弾されている被告人であっても,その主張を十分に聴き入れた上で弁護活動をおこなう弁護人が必要であり,弁護人には,被告人の基本的人権を擁護する責務がある。被告人の主張や弁解が仮に一見不可解なものであったとしても,被告人がその主張を維持する限り,それを無視したり,あるいは奇怪であるなどと非難したりすることは許されないし,被告人が殺意を争っている場合においては,弁護人が被告人の意見に反する弁論をおこなうことは,弁護士の職責・倫理に反するものであり,厳に慎まなければならないのである。
被告人が、弁護人に自分が犯人であることを告げ、それでも無罪を主張したいと言ったという仮定は、極端な例なので、そのまま弁護を続けても職業倫理には反しないとはいえ、私選であれば弁護人を辞任するという方針の弁護士も多いようである。
http://t-m-lawyer.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_e17a.html
しかし、内心は被告人の無罪の主張がかなりおかしいと思っているような場合でも、被告人が無罪を主張している限りは弁護人も無罪主張をする必要があることになる。
被告人の有罪無罪という、刑事裁判の根本的な争点について、三者の中では弁護人だけが、自身の疑念に反する主張をしなければならない場合があり、また主張することが許容されるということになる。
この当事者の真実義務の違いは、刑事事件の当事者の主張を聞いて判断する際には、前提として知っておかなければならないだろう。
弁護側の主張を報じた大手以外のメディア
上記のような、消極的な真実義務しかないという刑事弁護人の倫理は、一般に周知されているとは言えないと思う。
弁護士は社会正義の実現のために公益的な活動を行っているが、極端な例とはいえ、刑事弁護人として犯罪者かもしれないと思っている人を無罪にするために活動しなければならない場合もある。
弁護人が事件の当事者として主張する事実と、客観的な事実は、必ずしも一致するとは限らない。
メディア、ジャーナリストが伝える記事は、正確性・客観性が必要で、前提として事実を伝える必要があるが、当事者である刑事弁護人が主張する事実は、実際の事実と一致しないことも多いのだから、その主張をあまり斟酌せずそのまま報道してしまえば、結果として事実ではないことを伝えて広めてしまう可能性もある。
報道が刑事弁護人の主張を報じる際は、ある部分はあくまで弁護人の主張であり事実とは限らないということを明確にしたり、記者等が慎重に当否を判断した上で報じないと、視聴者・読者が弁護人の主張が確実な事実であると誤解する恐れがある。
この事件では、ネット上で主にジャーナリストやメディア等が、刑事事件やデジタルの証拠についての理解が不足しているのに、弁護人の主張する事実をそのまま裏付けのある客観的な事実であるかのように、あるいは思い込みでその主張をさらに補強するように伝え、多くの人がその情報を鵜呑みにして受刑者が冤罪であると判断した。
例えば、証拠が開示されたが決定的な証拠は無かった、犯行声明メールの写真はiPhoneで撮られていた、猫の首輪は裏返しに付けられていた、雲取山で発見されたUSBメモリの証拠は検察に隠されていたなど、後に開示された証拠や被告の供述により明らかになった事実とは違っていたり、不明のままだったりする事実について、結果的に事実ではなかった弁護士の主張をそのまま記事の見出しとして伝え、それを見た読者が事実であると誤解するということが積み重なっていたと思う。
弁護士は、ネット上の受刑者を応援する意見を勾留中の受刑者に見せていて、受刑者は喜んでいたらしい。
報道や世論が有罪無罪の判断に影響することはなかっただろうが、受刑者の否認継続や、弁護側の弁護活動に影響した可能性は否定できないだろう。
誤報検証サイト「GoHoo」の影響
主にネット上でこの事件を報じていたメディアの中でも、代表が弁護士である日本報道検証機構の、報道の誤報を検証することが目的のサイト「GoHoo」は、ネットでこの事件を追っていた人の判断に特に影響を与えたと思う。
このサイトは、弁護士の証拠についての主張を、裏付けのある客観的な事実であるかのように伝え、逮捕当初に大手メディア等が報道した、逮捕の決め手となった猫の首輪やウイルス開発の痕跡の証拠は誤報だったと指摘していた。
http://archive.gohoo.org/news/iesys/
GoHooは、この事件の三大誤報として、受刑者が江の島の猫に首輪を付けている姿が写っている防犯カメラの映像がある、受刑者のスマホから江ノ島の猫を撮影した写真が復元された、Dropboxからウイルスの作成場所を特定できる情報が見つかった、を挙げていた。
https://www.youtube.com/watch?v=is3e4krrvM4
しかし、これら3つの報道については、事件関連の誤解・疑問点(1)に書いたように、公判で証拠が明らかになるにつれ、いずれも厳密には誤報だったと断じるべきではなかったことが分かったと思う。
猫の首輪については、そもそも警察は会見で手元までは映っていないと言及していたし、首輪を付けた映像があると踏み込んだ表現で報じたメディアはすぐに訂正した。
証拠開示前から、この映像の証拠は、写真の証拠と組み合わせて立証する予定と報道されていて、結局決定的な証拠の一つであった。
受刑者のスマホからは、受刑者がこの事件のニュースを閲覧して保存していた、3枚の猫の写真が復元されたのであり、受刑者が撮った写真ということを証明できる強力な証拠ではないとしても、犯人が撮影した3枚の写真と同じ写真が復元されたこと自体は誤報とは言えない。
Dropboxの証拠は、公判の記事から分かるとおり、iesys.exeの表層解析をして受刑者の職場PCのパスを示す痕跡の証拠が提出されているのだから、誤報ではなかったことは明らかであり、恐らく弁護士がDropboxの証拠に関する検察の説明の意味を誤解していただけだと思われる。
どれも、公判開始前に、弁護人の説明だけから誤報と断定するべきものではなく、公判が始まると、これらの証拠も含めて決定的な証拠が複数あったことが分かった。
このGoHooの検証を根拠に、この事件は冤罪の可能性が濃厚と判断した人も多かったし、あるジャーナリストも、無罪意見の根拠にしたり、受刑者の自作自演が無ければ無罪だった、メディアは誤報を流して公判が長期化したと批判していた。
GoHooのこの事件に関する誤報の指摘が多くの信用を得た理由は、代表が弁護士であるということも大きいと思う。
刑事事件の報道について、事件の当事者ではない、刑事裁判に精通している弁護士が誤報と断定しているのだから、無理もないだろう。
報道の誤報を指摘することが目的のサイトなのであれば、十分内容を吟味した上で誤報と断じているのだろうという先入観もあっただろう。
この事件の弁護人は、デジタル関連の証拠については詳しくないと自分で言っていたし、ITの特別弁護人が選任された際には、今までのデジタル関連の証拠は我々弁護人にとって猫に小判だったと言っていた。
GoHooも、弁護人がデジタル関連の見識があまり無いことは分かっていたはずなのに、弁護人のデジタル関連の主張をそのまま事実と判断して誤報であると伝えた。
しかし、第三者である専門家が公判で出た証拠を見れば、被告が犯人であることを証明する決定的なデジタルの証拠も十分揃っていた。
また、一方当事者である弁護人が、職務として被告人の無罪主張をするために、発信する情報を取捨選択し、弁護側に有利な解釈をして伝えている可能性があることも、弁護士ならば分かっていたはずであり、分かっていなければならないはずなのに、GoHooは考慮していたとは言い難い。
GoHooは、デジタル関連その他の証拠について自ら検証しない、理解しようとしないのならば、積極的真実義務がなく、事実とは異なる可能性がある弁護人の主張を鵜呑みにして誤報と断じ、多くの人の判断に影響を与え、受刑者の自白後も証拠について検討せずに、世間に誤解を与えていたことは問題だと思う。
寄付の募集
弁護士は、この事件の弁護に必要な費用の寄付を募っていた。
寄付金の使用目的は、受刑者のPC等のデータ解析に必要なHDDの購入費用など明確にしていたので、寄付を募ること自体は何も問題は無いとは思う。
ただ、2013年7月に弁護側に示されていた、被告が触った5分後に付いていた猫の首輪などの決定的な証拠の詳細を知っていたとしたら、支援者はそれでもなお寄付をしただろうか。
あるネット放送では、受刑者が犯人であれば首輪に受刑者のDNAが付かないはずがないという弁護士の説明を聞いて、受刑者の無実を確信したジャーナリストが寄付する意向を示していた。
寄付をした支援者の大半は、弁護士の会見やネット上でそれを報じる記事を見て、受刑者が無実の可能性が非常に高いと判断していたと思う。
ネット上で事件を追いかけていた人に対しては、証拠の情報や双方の主張がバランスよく伝わっているとは言い難い状況であり、寄付者が客観的な情報に基づいて判断していなかったように思う。
大手メディアが流す情報とバランスを取ることの是非
あるジャーナリストは、この事件はマスメディアが捜査側の視点を大々的に報じていて、世の中の情報が偏っているので、弁護側の視点の情報を伝えることで情報のバランスが変わればいいと思った、記事の中でバランスをとることは意識していなかった、と述べていた。
しかし、この事件は4人の誤認逮捕が発覚して警察検察に非難が集中し、その後証拠がほとんど無く真犯人の捜査に手間取った末での容疑者の逮捕だったので、逮捕当初から、マスメディアの報道を見た上でも本当に犯人なのかどうか懐疑的な人も多かったと思う。
逮捕から4日後にマスメディアが報じた、次の受刑者が否認しているという記事のコメントを見ると、あくまでネット上の意見ではあるが、本当に証拠があるのか、冤罪かもしれないという意見も多い。
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/affairs/news/130214/crm13021421380030-n1.htm
公判が始まると、大手メディアは、全面対決のまま公判が始まったと報じ、どちらかに偏るというより淡々と双方の主張を伝え、第2回公判以降は保釈された事実以外はあまり報じなくなったが、それ以外のメディアやこの事件に関心が高いジャーナリストは、公判の様子と、保釈後は受刑者や弁護人のインタビューなどを何度も伝えていた。
主にネット上でメディアが伝えた弁護側の主張の情報は、マスメディアの報道を見て受刑者が犯人と思っていた人には結局あまり伝わらず、ネットで能動的に事件を追いかけているような、元々受刑者が犯人ということに懐疑的だったり、警察検察の捜査方法に対して批判的だったりする人の冤罪の思い込みをより強固にしたという印象がある。
スマホ等の端末でニュースを見る際には、見出しだけに注目して中身をあまり注意して読まないことも多くなっていて、更に記事自体もネット上で転載されるので、弁護側の主張に過ぎないことをタイトルにした記事を見た読者が、それを確定的な事実であるかのように誤解した人も多かったと思う。
ネットによる情報量の増加や、一般市民が意見を発する機会が増えたことも関係があるのかもしれないが、昨今の朝日新聞などの一連の記事訂正の反響や、大手メディアのオピニオンと世論が大きく乖離する場合があることなどを考えると、以前と比べて大手メディアの信用、権威が低下し、その情報、論調をあまり信用しない人も増えてきていると思う。
中には、大手メディアは信用できない、ネットにこそ隠された真実がある、と極端に考える人もいる。
その結果、ネットの玉石混淆の情報を適切に取捨選択できずに、結論がまず先にあり、それに適う情報ばかりを収集して信用してしまい、客観的に正しく物事を理解できない場合もある。
この事件は特に、警察検察の大本営発表を追随するだけのマスメディアと、真実を伝えるネットメディアやジャーナリストという構図を自分の中で作り上げて、結論ありきで判断してしまった人が多いと思う。
これは、果たしてジャーナリストらにとって望ましい状況だったのだろうか。
物事について、別に虚偽を言わなくても、どの側面の情報をどのように報じるかによって、受け手に伝わる理解がまるで変わり、全く違う印象を受けることもあることは言うまでもない。
仮に間違っていない情報を報じたとしても、報じ方によって、受け手に正しく事実が伝わらないこともある。
独立系メディアは、権力、巨大資本におもねる大手メディアに対するカウンターとしての機能が期待されるのかもしれないが、今は大手メディア以外のネットに流れる記事を、大手メディア以上に信用する人も増えているのだから、その記事単独で見ても受け手に誤解を与えないよう慎重に事実確認した上で報じられるべきだろう。
特に刑事事件の報道においては、弁護人に積極的真実義務が無いのだから、その主張が事実とは限らないということを前提として、情報の受け手に誤解を与えないよう配慮すべきである。
今回のように、刑事弁護人の真実義務、刑事裁判の知識、デジタルの専門分野の理解も乏しいまま、弁護側の主張をあまり斟酌せず、そのまま事実であるかのように、むしろ主張を更に補強するかのように報じておいて、結局無実ではなかった、証拠も十分あることが発覚するようなことを続けていれば、ネットを中心に活動するメディアに対する信用が更に低下することに繋がりかねない。
信頼される発信者であろうとするのなら、受け手に先入観を与えず、事実が伝わるように、客観的に報じることを心掛けてほしいものである。
刑事司法の問題
このブログでは、主に受刑者が犯人である可能性が高いということを述べてきたが、その前の、冤罪を生んだ刑事司法の問題にも少し触れておく。
冤罪は、国家による重大な人権侵害である。
この事件では、何の落ち度もない4人が誤認逮捕され、その内2人が自白した。
この事件を受けて、警察は一応、サイバー犯罪捜査を見直し、自白に頼りすぎたことを反省するとともに今後は取調べ方法を改める表明をしたが、実際にどの程度改められるかは分からない。
虚偽の自白をした人はそれぞれ、自白した方が早く元の生活に戻れる、同居人に疑いが向く前に認めた方が早く終わる、と自ら判断したことも理由の一つなのだから、虚偽自白は取調官の個々の問題だけではない、現在の逮捕勾留の制度そのものに起因すると思うので、今後のためには、制度自体の見直しも含めて検討していく必要があるだろう。
この問題と関連して、冤罪防止のため、被疑者・被告人取調べの録音録画をする可視化の導入が議論されている。
最近、裁判員裁判対象事件と検察の独自捜査事件の可視化が正式に実施され、法制審議会がその可視化を義務化する改正案を答申し、今年改正法が成立する見通しであるが、対象は全ての刑事裁判の2%に限られる。
今まで裁判員裁判対象事件を中心に部分的に可視化を実施してきたが、基本的には冤罪防止に役立つことも含めメリットがあると評価されている。
日本弁護士連合会は、取調べの過程の全てを記録する全面可視化と対象事件の拡大を求めている。
郷原弁護士の次の記事のように、弁護人が立ち会わない検察官の取調べによる供述の直接証拠化が、かえって被疑者、被告人の不利益に働く結果になる恐れもあるという意見もある。
https://nobuogohara.wordpress.com/2014/05/23/pc遠隔操作事件を「人質司法」の追い風にして/
私は、取調べの録音録画がすべて刑事公判での直接証拠として使用されるという、現状のままの取調べを全面可視化することには、必ずしも賛成ではない。弁護人も立ち会わず、検察官の質問にさらされる取調べの場での供述と、公判における裁判官、弁護人の前での被告人質問による供述の、どちらを重視すべきなのかは、慎重に検討すべき問題だからである。
推理小説「司法記者」(由良秀之)でも、それを原作とするWOWOWドラマ「トクソウ」でも描かれているように、「検察の暴走」の中において、恫喝、利益誘導等の不当な取調べが行われてきたことは事実である。取調べの可視化は、そのような不当な取調べを抑止する目的に限定して行うべきである。録音録画の直接証拠化は、かえって、被疑者、被告人の不利益に働く結果になる恐れもある。
次の元検事である弁護士は、可視化には賛成だが、組織犯罪の被疑者の危険や、取調べ状況が適切に評価されないおそれがあることなどを懸念していた。
http://www.yabelab.net/blog/2008/01/25-105944.php
元東京地検特捜部副部長の若狭弁護士は、可視化の本格導入は供述が引き出しにくくなることは間違いない、検事には机をたたいて怒鳴るのではなく、嘘やごまかしを見抜いて供述を引き出すという当たり前の能力を訓練することが求められる、と意見を述べている。
http://www.sankei.com/affairs/news/140618/afr1406180005-n3.html
可視化については、冤罪防止も含めて長所もあれば検討を要する点もあり、今までの実績も踏まえて、今後どうするべきなのか個別具体的に検証され始めている。
一面的な報じ方で議論を単純化しないように注意していただきたいものである。
弁護士と刑事司法
日弁連は、1990年の「司法改革に関する宣言」で、無罪率の低下などを問題視し、国民と司法との距離があるとして、陪審や参審の制度の導入を目指すと宣言した。
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/assembly_resolution/year/1990/1990_3.html
1999年に設置された司法制度改革審議会で、日弁連は市民の司法参加を目的として、参審より市民の役割が大きい陪審制度を導入するよう意見したのに対し、最高裁は反対し、法務省もあまり積極的ではなかった。
http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai30/30gaiyou.html
http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai30/30siryou.html
結局陪審と参審の折衷案である裁判員制度が導入されることになり、2009年に施行された。
実施3年後の統計で、裁判員裁判と裁判官裁判の判決を比較すると、覚せい剤事件の無罪率は上昇したものの、その他の事件は0.5%で、今のところ実施前の3年間の0.6%からほぼ横ばいだった。
複数の罪が厳罰化し、検察の求刑と同じ、又は求刑を超える判決の割合は顕著に増加した。
http://www.saibanin.courts.go.jp/topics/09_12_05-10jissi_jyoukyou.html
裁判員裁判は概ね順調と評価されているが、これらの結果は必ずしも日弁連の希望通りとは言えない面もあると思う。
2012年に、裁判員裁判で求刑越えの判決が下され、日弁連会長が談話で判決を批判した。
次の記事は、市民の「健全な常識」を司法に反映させるために司法参加を推進したのは日弁連であるとして、この談話を批判している。
日弁連会長「裁判員裁判批判」談話の苦しさ
http://blogos.com/article/44886/
2014年に、裁判員裁判で求刑の1.5倍の懲役刑だった判決が、最高裁で、先例相場と比較して量刑が重く公平性を欠くとして破棄され、より量刑が軽い判決が下された。
裁判員裁判の意義そのものが問われたが、次のアンケートによれば、母数は多くは無いが大半の弁護士が最高裁判決を支持している。
http://www.bengo4.com/topics/1834/
法律の素人である市民が参加すればこういう結果も想定されるし、量刑の相場に市民の感覚を取り入れることも制度発足時の目的の一つだったはずである。
色々理由はあるだろうが、むしろ刑事司法に市民の参加を積極的に推し進めてきた側が、犯罪加害者に不利な場合には市民感覚をあまり尊重しないというのは、なんだか都合がいいように思う。
2008年に、犯罪被害者が刑事裁判に参加して被告人質問等を行うことができる被害者参加制度が導入された。
日弁連は、他の被害者救済制度は推進してきたものの、被害者参加制度は、私的復讐から国家による理性的な刑罰権に昇華した歴史的経緯を踏まえるべき、ということなどを理由として反対していた。
http://www8.cao.go.jp/hanzai/suisin/kihon/gizi4.html
施行後3年後に、見直しの要否が検討された意見交換の場でも、日弁連は、被告人の防御権の観点や、特に裁判員裁判では感情に基づく誤判の危険性や被害者参加の有無による不公平が助長される弊害も大きくなる可能性があることなどを理由として、制度自体基本的に見直されるべきという反対意見を出した。
被害者参加人のアンケート結果では、合計88.2%が参加してよかったという意見で、被害者の納得、精神面の救済に役立っているようである。
意見交換会等を踏まえて法務省において検討した結果は、概ね適切かつ順調に運用され、制度として定着しつつある、意見を踏まえて被害者参加制度等の運用のより一層の充実を図っていくべき、という結論だった。
http://www.moj.go.jp/keiji1/keiji12_00068.html
この被害者参加制度を非常な熱意をもって推し進めてきた弁護士は、次に、自身の妻が殺害され、遺族となってみて初めて被害者は刑事司法上何の権利もないことを思い知らされた、長年加害者の人権だけを考え、加害者からの収入で生活してきた弁護士にとっては、被害者の権利は目障りなようである、という意見を述べている。
http://www.navs.jp/nl/nl_44/nl_44_01.pdf
両制度とも、公正、公平、従前の制度との整合性という観点では難しい問題をはらんでいるかもしれないし、日弁連の執行体制も変遷しているとは思うが、日弁連の、これらの制度についての市民の司法参加に関する主張は、一貫性に欠ける印象を受ける。
弁護士法第1条に定める弁護士の使命は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することである。
弁護士は、依頼人の利益に奉仕するのみならず、同時に公共的性格も有し、良心に従い正しい行いをする努力をしなければならない。
世間の弁護士に対する認識は、社会正義の実現を目指し、公益活動にも熱心で誠実で高度に専門的な職業というものが多いと思うし、実際に大半の弁護士がそういう方だと思う。
しかし、集団の一人として意見を持つ場合に、その見解が内輪の論理にとらわれていたり、歴史的経緯を重視しすぎたりしている場合がないだろうかという疑問がある。
戦前の全体主義に対する反省から、戦後は弁護士に諸外国と比較しても珍しいほどの弁護士自治が認められた。
弁護士の懲戒手続は、まず各単位会の綱紀委員会が懲戒委員会に審査を求めるべきか判断するが、構成員の過半数が弁護士であり、出席委員の過半数で議決されるし、調査自体は弁護士が行う。
被告人に、自分が犯人だが無罪を主張してくれと告白された場合に、どのような弁護をするべきなのかは見解が分かれるだろうが、被告人に不利な弁護をすると懲戒処分を受ける恐れがあるとしても、その懲戒の判断をしているのもまた弁護士である。
次の記事によれば、イギリスでは、近年の司法改革により弁護士自治が縮小した。
http://blogos.com/article/92208/
この遠隔操作事件では、受刑者が自白した際に、被告人の弁護に最善を尽くすのが弁護人の職務であり、たとえ結果的に犯人であったとしても何の問題も無い、弁護人の職務に対する理解が足りない、というような弁護士の意見があったが、言及が一般論に留まって、この事件の実際の弁護人の弁護活動が具体的にどうだったのかという点について触れない、検証しないことに違和感を感じる人もいると思う。
日本では、警察検察などの国家権力に対する報道等による監視の目はある程度厳しいと思うし、相変わらず不祥事も多いそれらを監視することは報道の果たすべき最も重要な役割の一つとも思うが、刑事司法においては対をなすと言える弁護士について、例えば日弁連の意見に対して、もう少し市民目線や客観的な視点による検証が加えられてもいいのではないだろうか。
その他雑感
くどいようだが、判決の記事に書いたように、猫の首輪関連の防犯カメラ映像、その前後の首輪が付いた写真、犯人が送った3枚の写真と受刑者の撮影角度が一致しているという証拠と、この点の受刑者の決定的に矛盾する色々な発言、真犯人にPCを遠隔操作されて首輪を付けたように陥れられたという弁護側の主張がほとんど無理筋であることを知り、刑事裁判について誤解が無く、客観的に物事を判断していれば、別にデジタル関連の知識が無くても、受刑者が犯人であり、裁判で有罪になる可能性が非常に高いことは分かったはずだし、証拠の詳細が明らかになるごとにその確信は強まったはずである。
世の中には何が正しいのか分からないことも多いが、この事件は、事実を丁寧に追えば受刑者が犯人であることは分かったはずなのに、多くの人がこの事件を冤罪だと思い、結局はやっぱり犯人であったことがはっきりと示されたという点が、かなり稀なことであり、印象的な出来事だった。
多くの人が冤罪と決めつけた主な要因は何かといえば、報じる者もその受け手も、今回も冤罪だろうという先入観があったことが大きいと思う。
受刑者の自白が無いまま有罪になれば、冤罪と言い続けていた人は多かっただろうし、いまだに受刑者が保釈後ミスをせず公判が進んでいれば無罪になっていたのに、と思っているままの人が大半ではないだろうか。
間違ったことばかり言う人からは、人は去っていくだろう。
この事件について間違った人は、自分が何故そう判断したかについて反省しなければ、何度でも同じことを繰り返すことになると思うが、まるで反省する必要はないと考えている人が多いように思えてならない。
この記事でブログの更新は一応の締めとします。
この記事へのコメント
僕も冤罪の可能性を期待(?)しながらこの事件を見守ってきたわけですが、佐藤弁護士の記者会見後に更新されるこのブログの記事もいつも楽しみでした。
しかし、このブログの記事を読んで、この事件が冤罪ではないことを確信するようになりました。それは、猫に首輪がつけられれた22分間についての分析を読んだ時でした。
他の論点に関しては、すべて状況証拠にすぎず、遠隔操作によって真犯人が、このような状況証拠を埋め込む可能性も否定できませんでした。
ただ、この犯行の行われた22分間については、遠隔操作によって真犯人が、片山氏のバイクを尾行し、防犯カメラに写らないように、その22分の内に猫の首輪にSDカードをつけるなどということは、どう考えてもできるはずはない。その一方で、片山氏は、まさにその22分間の内にその猫に接触していた。
この厳然たる事実に、このブログを通して接した時、片山氏による犯行を確信することになったのです。
江川氏などは、この猫の首輪について詳細な分析をしていながら、この厳然たる事実について、なんら合理的な、他に真犯人が存在しうる可能性を示していなかったと思います。
それでも、片山氏が早まらなければ、無罪の判決がでた可能性も否定できず、是非、裁判所の判断を見たかったものです。片山氏が、当初の予定通り、判決後に河川敷の工作をしていれば、より多くの教訓をこの事件は残すことになったはずですが、一番ほっとしたのは裁判官だったかもしれません。
猫の首輪を付けた証拠については、防犯カメラ映像の前後に写真の証拠があることなどがもっと広く周知されればよかったのにと思います。
初公判でせっかく多くの傍聴人が映像を見たのに、映像中の受刑者以外の人がどうだったかという大事な点も結局よく分からず、映像の証拠の意味も一般には誤解されたままでしたね。